3・絳攸と絳攸と楸瑛


絳攸はまどろんでいた。
身体が下に下に沈む感覚。
背は何かに触れていた。
下に沈む力と止める力の釣り合いが取れていない。
それが不思議だとは思わなかった。
辺りは黒い。
黒く閉ざされている。
いや、黒く広がっていたのか。
とにもかくにも妙な感覚だった。
でも覚えがある。
とてもとても疲れた時。
少しだけ、と意識を手放すように眠る感覚に非常に似ていた。
遠くから聞こえてくるざわめきが・・・
(ざわめき?)
絳攸はぱちりと目を開けた。
きらきらと揺れる木漏れ日が目に飛び込んでくる。
風に遊ばれて木の葉がさわさわと音をたてていた。
青臭い草の香り。
背中は冷たいと感覚を伝える。
絳攸は大地に寝転んでいた。
腕を動かしてみる。
目前で手の平を広げてみた。
優しい木漏れ日が遮断される。
(・・・・?・・)
絳攸は眉間に皺を寄せた。
ここで寝ることになった理由が分からない。思い出せない。
身体を起こしてみれば視界が広がった。
仙洞宮の高楼と禁池と。
絳攸は禁池を囲むように植えられた木々の中にいた。
頭を軽く振って深呼吸をする。
その時。
複数の話し声と衣擦れの音。
絳攸はびくりと身体を竦ませる。
高官の肩書きを持つ身。
いくらなんでも青空の下、寝ている姿は見られたくなかった。
そっと木の陰に隠れる。
こんな人気のない場所に歩いてくるのは・・・・二人だろうか?
誰だろうと思いながら絳攸は聞き耳をたてた。  


「・・・・・いや。
 そんなこと言うけどね。
 ちょっとありえないよ。この辺で迷うなんてさ」
「・・・誰が迷ってた。
 俺は迷ってたんじゃない。
 たまたま目的地へ向かう為のだな・・・・何を笑ってる」
「いや。開き直ったなと思ってさ。
 まあ、いいや。
 それよりさ。
 聞いたかい?」
「・・・・秀麗の事か」
「そう。
 今日明日中には到着らしい。
 会いに行くのかなと思って」
「・・・・」
「思い切ったからね・・・冗官か」
「妥当だ」
「厳しいね」
「茶州に疫病鎮圧で帰る際“茶州に帰れば死ぬだろうから帰らせろ”と噂を流した一派がいる」
「・・・ああ」
「一派にどのような人物がいるのか・・・。
 主上の言葉は“まだ調べなくていい”だった」
「やっかいだねぇ」
「秀麗達は人道的に最善を尽くしたからな。
 民意はある。だが・・・・」
「面白く思わない方々は何が何でも彼女を突き落としにくるだろうね」
「目に見えてるな。
 まぁ。その為の予防策だ。
 ここで退官されては困る。
 何より少しの間だ」
「・・・・ああ。
 直に春の除目だっけ」
「時期が良かったな。何もなければ・・・・・」


3・絳攸と絳攸と楸瑛


木の陰で絳攸は目を剥いていた。
遠ざかる二人の気配。
聞き覚えのある声だった。
二人ともに。
そして言った事のある言葉だった。
はるか昔に。
ずるりと膝から崩れ落ちる。
心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
絳攸はそろりと木の陰から顔を出す。
それはダメ押し。
一厘の可能性でもいい。
否定が欲しかった。
遠ざかっていく後姿を見て絳攸は笑った。
ハハハハ・・・・と乾いた声が響く。
紛れもなく彼らは、楸瑛と自分だった。
地面に座りこみそうになって・・・ふっと腰を上げる。
ちくりと足に痛みが刺さった。
(なんだ・・・・)
朦朧とした目で見る。
佩玉と花菖蒲が彫られた飾り玉。
へたりこんだ時に足に刺さったらしい。
こめかみが熱かった。ふつふつと怒りが沸いてくる。
「あの馬鹿!
 何が“何も起きない”だ。
 責任を取れーっ」
声を張り上げて怒鳴る。
不敵な笑みで笑う顔が絳攸の脳にちらつく。
(ふざけろよっ)
才子と名高い絳攸の頭脳は既に記憶の引き出しを開け整理まで済んでいた。
あとは認めるだけだった。
茶州疫病鎮圧。
秀麗の冗官は決定済。
そして、秀麗が茶州から帰ってくるという。
ならば、今は劉輝陛下の上治・・・四年か。
「・・・・アイツ。
 過去を見る鏡がどうのって言ってたな。
 俺が過去にきて、どうする」
絳攸は溜息をつく。
急激に上がった血圧が静まり始めていた。
ぐらりと揺れそうになる眩暈を堪える。
「十年前か」
そういえば、と絳攸は思い出した。
どうも絳攸の記憶の引き出しはイロイロイロイロ余計なものまで引っ張りだしてくれたようだった。

(・・・・・彼は・・・)





・ここまでくればベタなネタの意味が分かるかと。(20080113)