9・絳攸と楸瑛と静蘭


邵可邸門前。
門扉をまじまじと見つめて佇む二人。
「ねぇ、絳攸
 溜息ついてもいいかな」
絳攸は嫌そうな顔をする。
「溜息をついてから確認を取るな」
「でもねぇ。
 君も読んだんだろ?
 あの、文」
「・・・・・」
「えーっと。
 “アナタ方がお嬢様を冗官にまで突き落とした事には問いませんので本日中に必ず邵可邸までいらっしゃいますよう”だって。
うわぁ、嬉しいねぇ。
熱烈な上目線の招待状だよ。
 “本日中”と“必ず”に、たっぷり墨がのっていたのには理由があるのかな?」
「・・・要約しすぎだ。
 気のせいだ」
絳攸の眉間に皺が寄る。
“問いません”の内容については楸瑛より絳攸の方が針の筵に座る気分だ。
悪策ではない、はずだった。
情勢を鑑みれば。
ただ、気持ちが重い。
絳攸はもやもやする気持ちを抱えていた。
楸瑛は何度目かの溜息をついたようだった。
「要約も何も真実だよ。
 あれ?胃でも痛いのかい?」
軽く胃を押さえた絳攸を目ざとく楸瑛がつつく。
「いや。
 そういうわけじゃない」
身体がだるい。
気のせいだろう・・・と思いたい要因は山ほどある・・・と絳攸は思うのだが、邵可邸が近づくにつれ言いえぬ圧迫感があった。
湿っぽい男が隣にいるせいだろうか?
「・・・何が、そういうわけなんですか」
突如割り込んだ声に絳攸と楸瑛は後ずさりしそうになった。
にっっっこりと口元にだけ笑みをはいた静蘭が門扉の奥から姿を現す。
「・・やぁ、久しぶり。
 気配を感じなかったよ、静蘭。
 元気そうで何より」
ひくひくと引きつった笑顔で楸瑛が言う。
静蘭は楸瑛をあっさり無視して絳攸をジロジロ眺める。
不躾な視線に居心地の悪い思いをしながら絳攸は口を開く。
「な・・なんだ一体」
己の声がどもった時点で絳攸は終わったな、と思った。
つけ込んでくれ、と言っているようなものだった。
しかも相手は静蘭。
容赦はないだろう。
(・・・何を・・・言われるやら)
心中溜息をついた絳攸に静蘭はふーん、と唸った。
「“来る”事が出来たんですね、絳攸殿」
「・・・」
絳攸と楸瑛は顔を見合わせる。
よく面が出せたものだ、とヒシヒシ感じるのは気のせいだろうか。
静蘭はふぅとこれ見よがしに溜息をつくと呆れたように吐き捨てた。
「もう、どうでもよくなりました。
 考えるのも馬鹿馬鹿しい」
(これで、本当に絳攸殿が二人・・・)
絳攸があかの他人の振りをしている案は御破算になった。
非常におもしろくない、と静蘭は肩を竦める。
ならば。
「どうぞ。
 お嬢様は出かけていますが、御会いして頂きたい方がいるのですよ」
そう言って静蘭は二人の客人を招きいれた。

 

コウは室の椅子に座っていた。
小刻みに震える肩に手をやる。
胃がムカムカして気持ちが悪い。
原因は分からないが予想はついていた。
「・・・参ったな。これほどとは」
いい頃合だった。
もうじき、室の扉が開かれるだろう。
その為にコウは静蘭を挑発したのだから。
静蘭がコウの思惑に気づいているかどうかは分からないが・・・。
「会ってやろうじゃないか。十年前の俺に」


静蘭の後に続きながら絳攸と楸瑛は回廊を歩いていた。
楸瑛は注意深く絳攸を観察する。
(・・・調子が・・悪い?)
門前で胃が痛いのか、とからかった時は気づかなかった。
でも今、はっきりと絳攸の息遣いがおかしい。
不規則に息をつめては荒くならないように努めている。
顔色は青いを通り越して真っ白だった。
ちらりちらりと静蘭も絳攸に視線を送っている。
(やはり静蘭も気づいたか)
身体を鍛錬するにあたり呼吸法は基本である。
「絳攸。・・・君?」
「五月蝿い。
 黙れ」
眉間に皺を寄せて絳攸は言い放った。
絳攸自身、自分に何が起きているのかよく分からなかった。
ただ急におかしくなったのだ。
一歩進む毎に身体にかかる重圧。
吐き気ムカつき、なんだか頭まで痛くなってきた気がする。
絳攸の眉間の皺がますます深くなった。
楸瑛はそっと絳攸との間を少し詰める。
もし倒れたとしても難なく受け止められる位置だった。
(意地っ張りだからねぇ)
楸瑛は絳攸に気を留めながら、前を歩く静蘭を見た。
「静蘭。合わせたい人物って、どなただい?
 今でなくてはいけないのかな?」
「・・・今、御会いするのがいいと思いますよ。
 彼の素性は私も分かりませんが」
「・・・素性が分からない?
 なんだか不用心な話だね」
「恐らく絳攸様なら御存知かと。
 それで会って頂きたいのですよ」
楸瑛は絳攸を見た。
一歩ずつ歩を進める度に容態が悪化しているようだった。
「静蘭。やはり・・・・」
「こちらです」
静蘭は楸瑛の言葉を問答無用で遮った。
(絳攸殿の容態がどうあれ、ここで帰られては困る)
扉の前でぴたりと止まった静蘭は一度絳攸を見る。
容赦のない鋭い視線が絳攸を突き刺す。
絳攸は居心地の悪さを感じていたが、それ以上に体調の急激な変化に戸惑っていた。
楸瑛はやれやれと溜息をつく。
静蘭は扉越しに声をかけた。
「コウ様。
 入ってもよろしいでしょうか」
ややあって室内から声が返る。
「かまわない」
と。
扉の奥。くぐもった声だった。
楸瑛は、え?と隣の絳攸を見る。
声が、似ている?
というより。
(そのものに聞こえた)
楸瑛が見る限り絳攸に変わった様子はなかった。
自分自身に一杯一杯でそれどころじゃないのかもしれないが。
そして、ゆっくりと扉は開かれた。



・ウメ宅の絳攸と楸瑛。二人揃うと何故かお喋りが多くなります。
 静蘭にしっかり手綱をしめてもらわないと!