12 邵可とコウ


コウが邵可に連れられて庭院を歩くこと少し。
邵可が立ち止まったのはコウもよくよく知る場所だった。
目の前には二本の木。
桜と李木が並び立っている。
「コウ殿」
邵可は木を見上げてコウに声をかけた。
「十年後、この木はどうなっていますか?
 沢山花を咲かせてますか?
 実は食べられるでしょうか?
 それとも。
 切れられてしまっていますか?」
「・・・・」
コウは答えなかった。
邵可の問いに対する答えをコウは持っている
けれども。
邵可が尋ねたい事は別にあるような気がしたからだった。
「・・・邵可様」
邵可はコウの顔をしばし見つめて表情を和ませた。
何かに満足したような微笑。
「そうですね。
 尋ねなくても10年経てば知る事が出来る。
 つまらない事を聞きました。
 コウ殿。
 未来に帰るきっかけは見つかりそうですか?」
コウは一晩かけて府庫をひっくり返していた。
邵可邸の蔵書はそれなりにある。
到底一晩では探しきれるはずもない。
だがコウは今朝から府庫に足を踏み入れていなかった。
コウは苦笑しながら首を横に振る。
「残念ながら」
「少し、思ったのですが」
邵可は改めてコウを見た。
「コウ殿は未来に戻る事に真面目でない気がする」
コウは暫く邵可を見つめて軽い溜息をついた。
「何故そう思われますか?」
「昨晩。
 あなたの本をめくる速さが・・・異常に早かった。
 あれではまるで読むというより“確かめる”ように感じたのです。
 本当は事前に何か知っていたのではないのですか?」
コウはこくりと喉を鳴らした。
なんという観察眼なのか。
「・・・この十年で、それなりに成長したと思っていましたが・・・
 まだまだ貴方には追いつかない」
そう言ってコウは晴れやかに笑った。
心の底から。
「コウ殿・・・・いや、絳攸殿」
「正直に申し上げましょう。
 確かに私は知っていました。
 邵可様の府庫。宮城の府庫。
 どちらの書物にも帰る術は載っていないのです。
 以前、調べた事があるので・・・・私は載っていない事を確かめるだけでよかった。
 邵可様のお見立て通り」
邵可は眉を寄せた。
あまりにも落ち着き払っている事が何か良くない事に繋がりそうな・・・そんな気がしていた。
「絳攸殿。
 貴方は・・・」
「単刀直入にお伺いします。
 邵可様・・・いえ、黒狼は何か御存知ですか?
 今回のような事象に対して」
邵可はコウの真っ直ぐな瞳を受け止めた。
心苦しく思いながら首を横に振る。
「そんな顔をなさらないで下さい。
 突然お邪魔して無理難題押し付けているのは私の方なのですから。
 でも。これではっきりしました」
コウは一言区切ってそっと左の肩を掴み言った。
「私が尽くせる手はなさそうです。
 書物に欲しい知識はない。
 縹家の術者とやりあってきた黒狼が分からない。
 さらに今の時代、異能方面専門の仙洞省令君もいない」
コウはさらりと言ってのけた。
どこか遠い目で桜と李木の幼木を眺める。
書物に載っていない事は知っていた。
それでも本をめくったのは万が一の為。
そして本当に確かめたかった・・・一縷の望みだった“黒狼の知識”ですら知りたい情報は手に入らなかった。
あと、コウが出来る事は・・・・。
邵可は眉間の皺が深くなる。
「絳攸殿」
「邵可様。
 私は昨日仙洞宮の近くで目覚めました。
 そのそばを“絳攸と楸瑛”が歩いていた。
 二人を見て、私は今が十年前だと知ったのです。
 その時思い出しました」
「・・・まさか」
コウは頷いた。
「私の人生の中。
 ちょうど十年昔。
 “十年未来からきた男”がいたな、と。
 彼は“コウ”と名乗っていた
 つまり、私が“この世界”を訪れるのは確定していたのです。
 ちょっと忘れていましたが」
「・・・ちょっと、で忘れるべき事でもないでしょう」
コウは苦笑した。
悪戯がばれてしまった子供のような顔で。
邵可は軽く目を閉じる。
納得だった。
昨晩邵可が感じた違和感。
目の前の人物の呼称。
“コウと呼ばれる事が初めから決まっていた”ように感じたのは、まさしくその通り。
初めから決まっていたのだ。
ならば。
(絳攸殿の人生の中の“コウ殿”はどうなったんだ?)
邵可が目を開けた時、コウの眼差しとかち合った。
コウは軽く首を振った。
邵可の疑問に答えるかのような絶妙な間合いだった。
「・・・・帰る手段までは知りません。
 知っていれば実行しています。
 黒狼の知識に頼る事なく」
「それは、確かに」
コウは少し俯いた。
少し長めの前髪がコウの表情を隠す。
「あぁ。
 そうだ。
 先ほど絳攸と会いました」
邵可は軽く頷く。
邸がばたばたしているのを邵可は勿論知っていた。
「そのようですね」
「“絳攸”とあって確信した事があります。
 私は偽者なんですよ」
「・・・何を言い出すのです・・」
コウは微苦笑を浮かべたままだった。
「“絳攸”という人間が二人なんてありえないでしょう。
 どちらが本物かと問えば“この世界において”今頃楸瑛に看病されている絳攸が本物です。
 そう思われませんか?
 それなら帰る術のない私は“この世界”の不穏物資だと」
「絳攸殿!」
邵可は声を荒げた。
「“不穏物資”と呼ばれるものは古今東西“抹消”されるもの」
「・・・・だから、取引したのですか」
夕暮れの宮城の府庫で。

――場合により、コウを殺す事を。

「・・・・まさか。
 そこまで考えていません。
 あの時は“帰れる”つもりでしたから。
 私は“黒狼が誰か知っている”という情報を提示する事で、“黒狼の知識”を得ようとしました。
 邵可様には『そんな事に命をかけるな』と言われましたが。
 それとともに、私が十年未来から来た人間だ、と真実理解して頂きたかった。
 “今の絳攸”は知らなくて“十年後の絳攸”なら知っている事をお話すれば、邵可様は信じて下さると思ったからです。
 それ以上に込めた意味などありません」
邵可は悲しそうに笑うと首を振った。
「絳攸殿。
 貴方はこの二本の木の未来を教えて下さらなかった」
邵可はちらりと桜と李木を見る。
「未来を知りたいと願う者に、どんな些細な情報でも与えないつもりでいるのでしょう。
 どんな些細な情報でも、災いと転じる可能性がある。
 絳攸殿が守りたいと思う未来に」
「・・・・」
「未来を口にする事がないように、できないように。
 これが絳攸殿の本当の取引だった。
 違いますか?」
その通りだった。
コウが取引に込めた本当の思惑。
邵可は全てを暴きだした。
「・・・・申し訳ありません」
絳攸は、そうとしか言いようがなかった。
邵可は再度首を振る。
「謝るには及びません。
 絳攸殿は、私の思惑にも気づいている」
「・・・・」
コウは、ああと頷いた。
コウが『“十年未来”から来ました』と言った直後の邵可の様子を思い出す。
「それが何だというのです?
 私の言葉から真贋を読み取り、そこから波状する事柄に思考を巡らされていた。
 特に“人”に利用される価値の程を」
夕暮れの紅光の中で二人は腹に一物も二物も抱えて対面していたのだ。
でも、とコウは微笑む。
穏やかな表情で一度目を閉じた。
「私という不穏物資は“人”に消される前に“この世界”に消されそうです」
そう言ってコウは左袖を捲り上げる。
“この世界の絳攸”と出合いもたらされたもの。
変化は確実に進行していた。
左の上腕半分。
綺麗に。さっぱりと。
邵可ははっと息を飲む。
あまり動じない邵可にしては珍しい事だった。
「・・・・こう・・・ゆう殿」
「腕の先は未来に繋がっているのか、他の世界に弾き出されるのか、単に抹消されるのか。
 こればっかりは私も分かりません。
 それなら。
 希望を持つより現実を受け止めようと思います」
「・・・・」
「此処に辿り着いてしまった私が此処で潰えるのなら」
コウはしっかりと邵可を見据えた。
「私が私に出来る事をするまで」




 


・涙雨345にバリバリ伏線だけは張ってありました。
 張った伏線を使えたのはいいとして、使い方が下手だなぁと落ち込み中です。
 
 さて。アップをお願いしているサイさんのパソコンの調子が少し悪いとの事。
 場合によりアップが出来ない場合にはブログでお知らせします。
 もしかしたら、ブログで涙雨の続きを仮置きするかもしれません。
                         20080425