【つかの間の】
「・・・ん」
押し殺した声が耳について絳攸はうっすらと目を開けた。
まだ朝には少し早いようだった。
布団の中で目覚めた絳攸はぼんやりしたまま秀麗の姿を探す。
夫婦の臥台は非常に大きいものだったが、いつの間にか寄り添って眠るのが常になっていた。
今では一人で眠る事の方が落ち着かない程に。
絳攸は背に秀麗の気配を感じると静かに寝返りを打った。
彼女を起こさないように、そして彼女の内で眠る我が子を驚かせないように。
すると。
絳攸の目に飛び込んできたのは秀麗の華奢な肩と豊かな黒髪だった。
めずらしい。
秀麗は身重になってから、うつ伏せで眠る事も仰向けで眠る事も出来ない。
必然的にどちらかの肩を下にして眠るのだが、彼女は決まって絳攸側に顔を向けて眠っていた。
秀麗の背は・・・それこそ喧嘩をした時・・・ぐらいではないだろうか。
「っ」
息を飲む微かな声。
絳攸は眉を寄せた。
「・・・・秀麗?」
囁くように彼女の背に問いかける。
秀麗の背は小刻みに震えた。
「どうした?」
絳攸は起き上がり秀麗の顔を覗き込む。
その額にはびっしりと汗が浮かんでいた。
「秀麗。何が辛いんだ?」
秀麗は弱りきった視線を絳攸に投げると顔を横に振った。
「・・・・明日も・・・お忙しいのですから・・・・
お休みに」
「秀麗」
息も絶え絶えに言う秀麗を絳攸は遮る。
ふざけるな、と罵倒しそうになって絳攸は一度奥歯を噛み締めた。
(気遣いの方向が間違ってるだろ)
「腹が痛いのか?」
秀麗は緩く顔を振った。
どうやら何が辛いのか・・・口を割るつもりはないらしい。
秀麗らしい強情さだが、こんな時は歯がみしたいほど憎くもある。
絳攸はそっと掛布をめくった。
「・・・っ」
「・・・・・・足がつったのか」
秀麗の足は反り返り痙攣を引き起こしていた。
「絳攸様っ」
「黙っていろ」
絳攸は秀麗の足下に移動すると寝衣の裾を捲る。
あらわになった白い足に指を這わせるとひんやりと冷たかった。
「・・・馬鹿だな」
責める口調ではなく、呆れかえった声が響く。
絳攸は両手で足を包むと暖めながら揉み始めた。
「俺に気を遣う事はない。
我慢をしないで叩き起こせ」
「でも」
「でも、じゃない。
仕事とか疲れてるとか、そんな事を理由にするな。
お前も同じだろう」
「・・・・」
無言で固辞する秀麗に絳攸は溜息をつく。
「頑固だな」
「お嫌いですか?」
「そんなわけないだろう。
でもな、少しはお前の苦労を分けろ、と言っているんだ。
俺にはこんな事しか出来ないんだぞ」
いざ出産となれば、それこそ絳攸は出る幕がない。
それならば、出来ることを出来る内にやりたいと思うのだ。
絳攸は手の中の足を見る。
秀麗の小さな小さな足。
二人分の体重を支えているのだ。悲鳴だって上げるだろう。
なのに秀麗は絳攸に助けを求めようとしない。
一人で何とかしようと・・・してしまう。
絳攸は秀麗に気づかれないように溜息を零した。
秀麗の白い足がほんのり色づいてきた頃、絳攸はそっと秀麗を窺い見た。
顔色はずっと良くなり、びっしりとかいていた汗は引いている。
まぶたが重そうで何度も瞬きを繰り返しては必死に眠気と戦っているようだった。
秀麗全体を支配していた緊張も、すでにない。
絳攸はほっと息をつく。
秀麗の寝衣を整え掛布を元に戻すと、彼女を背中から抱きしめた。
小さく息を詰める音が絳攸の腕の中からしたが、すぐに穏やかな寝息に変わる。
「まったく。最後まで、はい、と言わなかったな」
絳攸は秀麗の髪に顔を埋めた。
抱きしめた彼女の身体は絳攸より暖かい。
身ごもってから、どんどん暖かくなっていくようだった。
以前はひんやりとしていたのに。
「いいだろう」
絳攸は静かに言った。
「お前が無意味な遠慮をし続けるなら、俺にも思うところがある」
絳攸はにやりと笑った。
言葉に甘みなんて含まれていない。
夫婦の臥室にこれ以上ふさわしくない声音で絳攸は言い放った。
仕方ない、絳攸は少し腹を立てているのだから。
母子の絆はとても深くて、ともすれば父親なんて見守るだけの存在になってしまう。
今から仲間はずれにされるのは、真っ平ゴメンだ。
絳攸はそっと目を閉じた。
朝まで、もう少し。
親になるまで、もう少し。
つかの間の二人の時間。
了
2008/11/30 初アップ
2009/07/05 再アップ
久々の涙雨です(・・・またかよって言われそう)。
とはいえ、ブログにあったものを加筆修正しただけなんですが。
いや・・・まぁ。
結構な加筆と修正なので、ブログにあったものとは大分違っちゃってるんです。
まぁ・・・・いいか、の精神でアップした次第です。
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