日は傾き地上から姿を消そうとしていた。
世界は紅く、紅く染まる。藍が影を落とすまでのほんの数刻の間だけ。
絳攸が主上の執務室に辿り着いた時、主は不在だった。
代わりに。
「・・・楸瑛」
狙い済ましたかのように、男はいた。
「今日は随分と遅かったね、絳攸」
「散々迷ったからな」
楸瑛は目を見開く。己の方向音痴を認めない男が珍しい言葉を発したものだ。否、それより何より。
「迷ったのかい?
ここのところ快調そうに移動していたようだけど」
にやりと楸瑛は口の端をあげる。絳攸は深く悩めば悩むほど些細な事には囚われない。逆にいえば、そんな時ぐらいしか方向音痴が治らないのだから難儀なものである。
「嫌味な男だな。生まれた時から叩き込まれた権謀術数。榜眼及第の頭脳は、女を口説くぐらいしか使わないんだと思っていたがな」
「平和な事じゃないか。
 只の筋肉馬鹿じゃないだけましだろう」
「はん。
 言っていろ。己の本分が疎かにならないよう気をつけろよ」
ぴくり、と楸瑛のこめかみが震えたように見える。
「誰に言っているんだい」
「主上に傷一つでもつけてみろ、許さないからな」
楸瑛は壁に背を預けた。腕を組んで寛いでいるように見えるが、剣がすぐに抜ける体勢を保っている。
「・・・・答えが出たのかな」
楸瑛の言葉に絳攸はふんと鼻を鳴らす。黙って手に持っていたものを投げつけた。
楸瑛は片手で受け止めて。
「李?
なんて季節はずれな・・・」
「そうだな。今食った所で美味くはないだろう」
「ごめん。君が言いたい事が分からないよ」
「その李はいずれ熟し、熟れきって腐るだろう」
楸瑛はこめかみをとんとんと叩く。会話の先が何処に向けられるのか思案しながら。
「国も同じだ」
「・・・・栄枯盛衰を繰り返す、かい?
 風流な話だね」
絳攸は近くの椅子を引き寄せて座った。窓から見える昊。日は完全に落ち、城下にちらほらと明かりが灯る。
「この国も例外じゃない。普遍なものなんかありはしないからな」
「・・・・いずれ、の話だろう」
「違うな。いずれにする為に今を堪えるんだ。それが俺の仕事だ」
国は生き物だと絳攸は思う。生きているからこそ死に潰える時がくる。労わってやれば長生きし、負担をかければ先は短くなるだろう。
「壮大な話だねぇ」
「俺は秀麗のように百年先の誰かの為に国を整えるつもりはない。」
楸瑛は、へぇと口の端を吊り上げる。
「劉輝陛下の御代を安定させ、彼の傍で御世が一日でも長く続くように堪える。国の老化と腐敗から」
「欲がないね」
楸瑛は壁から背を起こした。絳攸の言う仕事は『そうして当然』のように思える。当然すぎて難しいのだが。
「欲?
 そんなものは後からついてくればいい」
絳攸はにやりと笑った。皮肉のこもった笑みを近しい人に見せるのは珍しい。
「・・・ついてくる?」
「ああ。俺と秀麗。二人の展望がうまく乗れば、な。いずれ国が終わった時、劉輝陛下時代が最上治だと後世の暇人どもに詠わせる事も可能だろう」
楸瑛は目を見開いた。腰の剣が壁に当たりかちゃりと鳴る。一拍して楸瑛は笑った。
なんという師弟だろう。
「秀麗殿は民が安寧に暮らす為に『こたえて』いきたいと言った。君は、国が――主上の御世を一日でも長く続くように『たえて』いくって?」
面白い。
楸瑛は目尻を緩ませる。
「確かに秀麗殿が茶州で起こしたような事業ばかりしていれば、国は息切れするだろう。どこかできっと歪んでくる。逆に君は堪え凌ぎ力を蓄える。そんな事が出来るなら」
楸瑛は言葉をきった。そこから先は言葉に乗せない方がいい。来年の事を言えば鬼が笑うらしい。数十年単位の話を鬼が聞いたら、どうするのだろう?
楸瑛は椅子に座る絳攸に歩み寄り肩に手を置いた。ここ最近の鬱々とした表情はない。吹っ切れた様子に安堵する。
もとより楸瑛は茫然自失の絳攸に手を差し伸べるつもりはなかったのだが。自分でたどり着かなければ意味のない事。だから余計に追い討ちをかける事もした。同じ下肢の花を賜った者として。
でも、今度は。
「・・・・それでいいのかい?」
そっと絳攸の耳元に囁く。新たに作る事。護り堪える事。どちらが容易いのか。
時として主上以上に負担を抱え込むのは・・・。
絳攸は嫌そうな顔をしてそっぽを向く。
「俺が道をあやまりそうになったら・・・
 お前が連れ戻してくれるんだろう?」
遠い約束を絳攸は口にした。
楸瑛はしがらみに気づいていない微温湯に浸っていた過去を思い出す。
今の二人なら出来るだろう。
劉輝陛下への絶対なる忠誠のもと、それぞれが一人で立つ事。お互いが支えあう事。
 そして。
「もちろんだよ」
楸瑛は友として微笑んだ。


 2007/11/24

現時点で原作は白虹まで。その先の捏造なんぞ。

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