【玉響の音】 「ちょっと! どういう事だよ黎深」 ダンッと卓子を叩き付けて百合は怒鳴った。 卓子の上の食器がカチャカチャと震え上がる。 絳攸は小鉢を押さえると漬物を口に運んだ。 柚子の芳しい香りが口に広がる。 「どうもこうもあるか。 例の件に関しては手を出すなと言っておいたはずだ」 百合の剣幕など何処吹く風で黎深は鼻を鳴らす。 絳攸は魚の野菜餡かけに箸をのばした。 「もぉ頭きた。 これじゃ私の可愛い玖琅が可哀相じゃないか」 黎深はカッと目を開く。 「あいつの何処が可愛いんだ」 「全部」 即答だった。 何故、妻に弟の方が可愛いと言われなければいけないのか。 黎深は奥歯を噛み締める。 ぎり、という音が聞こえてきそうだった。 絳攸は汁をすすりながら懇願する。 (百合さん。お願いですから俺に話をふらないで下さい) この状況で話を振られても絳攸にはどうしようも出来ない。 ならば逃げるしかない。 絳攸は箸を揃えて卓子に置き、 「ご馳走様で・・・」 「絳攸」 とてもとても甘い声が絳攸の名を呼んだ。 びくりと絳攸の身体が固まる。 ギクシャクと首をめぐらして百合を見た絳攸は息をのんだ。 養い親の一人は嫣然と微笑んでいる。 「食後のお茶。 一緒にしてくれるわよね? 久しぶりに帰ってきたんだもの。 御仕事の話とか、聞きたいわ」 絳攸の背筋に冷たいものが走る。 口調こそ柔らかい・・・・しかし。 まさか室から出て行かないわよね、と目が語っている。 (・・・百合さん) 絳攸は仕方なく付き合う覚悟を決めた。 夕餉が終わり、絳攸は庭院に面した廊下を歩いていた。 庭院の大きな池の水が月光をはね返しながら、ゆらりと揺れる。 風が出てきたようだ。 絳攸はふぅと溜息を吐く。 長い長い夕餉だった。 珍しく三人揃ったというのに。 三人揃ったからこそ、針のむしろだった・・・とは思いたくない。 百合は基本的に黎深に対して寛大である。 ぷりぷり怒りながら呆れ果てながらでも最後には許すのだ。 その彼女が絳攸の前で男言葉を使う事は珍しい。 「ごめんなさい。つい・・・・」 ほほほ、と百合は笑っていた。 百合が黎深に対して男言葉を使う時は紛れもなく怒髪天を突いた時。 黎深が何をやらかしたのかは知らない。 分かる事といえば、双方共に一歩も引かないだろうという事だけだ。 絳攸はぼんやりと邸の奥へ目をやる。 今頃、第二試合が始まっているはずだった。 黎深が百合に手を上げる事はないと思うが、万が一という事もある。 その時。 「・・・・あ」 風にのって微かな音が聞こえた。 紛れもない琵琶の音だった。 絳攸はほっと胸を撫で下ろす。 もう大丈夫だ、と。 琵琶は紅家の十八番。 教育と教養の一環として百合の琵琶を聴き続けてきた絳攸には分かった。 あれは、百合の音ではない。 そして黎深は百合の為にしか琵琶を弾かない。 口で言われた事はなかったが、雰囲気で絳攸は知っていた。 絳攸は欄干を握る。 ひんやりと冷たくて気持ちが良かった。 「明日の朝餉は穏やかに迎えられる、か」 少し羨ましいと思った。 たった一人の為の音。 絳攸は記憶の中の音を探り出す。 水の上で優しく煌く月光のような二胡の音。 彼女は、頼まれれば誰にでも喜んで二胡を弾くだろう。 玉響の音を惜しみなく。 あの音が自分のためだけにあったなら。 「馬鹿な事を思うな。 あれは主上のもの・・・だろう」 絳攸は口角を上げる。 皮肉な笑みを浮かべて自分を戒めるように言った。 (あの音を本当に必要としているのは、俺じゃない) 欄干を握る手に力をこめて衝動を押さえ込む。 彼女は想いをぶつけてはいけない相手だ、と。 抱える想いは更に根をはる。 ならばせめて、芽をださないように。 |
了 2008年01月01日 |
作成中、紅家の食卓が楽しくて楽しくて。 前半部分は短い予定だったのに・・・・。 【イチョウ】の時の絳攸様が変な理由。 なんとなく、醸し出せればいいのですが。 |
→彩雲国SStop →TOP |