「今は。
 帰るつもりでいる。
 その櫛は・・・保険としたい。
 だから」
秀麗は震えながらコクリと頷いた。
「心得ました」
「そうか・・・・
 すまない。
 ・・・・ああ、そうだ」
その時コウの頭をよぎったのは絳攸の事。
(俺が俺である限り、そう滅多な事は起きんと思うが・・・)
「絳攸様?」
「十年後・・・
 もし俺が十年後に戻れずに・・・消えた“李絳攸”が独身を貫いていたら」
秀麗はヘ?という顔になる。
奥さん・・・は、どこに行ったのだろう?
コウは少し笑ったようだった。
「その時は、秀麗が櫛を貰ってやってくれ」
「・・・・え・・えと」
まさか、先ほどの話全てが嘘だったのだろうか?
狼狽する秀麗にコウは笑みを深くする。
この櫛が自分の元に戻ってくる確率はどれくらいだろう、とコウは思う。
コウが十年後に戻れる可能性。
この世界の“絳攸”がコウと同じ途を辿るか否か。
全部をひっくるめたら、きっとそんなに確率は高くない。
「あ・・・あの」
「秀麗。
 きっと確定しているのは過去だけなんだ。
 未来は変わる可能性がある・・・と俺は思う
 秀麗は。
 まだ分からなくていい事だ」
秀麗は一生懸命な表情で口をパクパクさせている。
愛おしい、コウは思った。
頭をポンポンと撫でてそっと抱きしめたい感情に駆られる。
すでに両腕はないけれど。
「秀麗。
 そのままで
 秀麗らしく、秀麗のままに。
 紅官吏の心配はないんだが・・・な。
 経験がお前を強くするから」
コウの脳裏に陸清雅の不敵な微笑が浮かんだ。
コウの瞳がぎらりと剣呑に光る。
「こ・・・絳攸様?」
秀麗はぱちぱちと目をまたたく。
いつもなら、上がってこい、と言う人が・・・。
「秀麗・・・・少し目を閉じてくれないか」
その時、コウは笑っていなかった。
真剣な目で秀麗を見ている。
秀麗はコウをしばし見つめて・・・ゆっくりと閉じた。
コウが柔らかく笑む気配がして・・・・・秀麗は唐突に目を開いた。
そこには李木が。
コウは影も形も。
衣すら残ってはいなかった。
秀麗は手の中の櫛を見る。
彼の最後の言葉が蘇った。

―――十年後に

秀麗はそっと櫛を握り締めた。
そう。
十年経てば、すべてが分かる。







・やっと絳攸様脱出です。
 正確には帰りたくて出たのではなく、追い出された、とか、締め出されたという意味合いが強いのですが・・・。
 あまり上手く伝わらないのがトホホです。
 涙雨1で絳攸が気にしていた“袷の中の硬い物”と“組紐”がやっと書けました。
 涙雨14の直後に涙雨1を読むと、この話も終わったに等しいのですが・・・・もう少し続きます。
 本当にもうちょっとだけ。

              20080510

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