秀麗は赤い花の櫛を丁寧に手巾でくるむと箱に収めた。
蓋をきっちり閉めてからそっと息を吐き出す。
絳攸が秀麗ではない誰かに送った櫛。
彼女は臨月なのだという。
「・・・・私では・・・ないわね」
自分に言い聞かせるように秀麗は口に乗せた。
言い聞かせて・・・・惨めな気持ちになる。
(私では・・・家族を増やす事はできない)
家庭を持つことは出来ても。
筆を持ちすぎて硬い胼胝がある彼の指。
その指で秀麗の知らない女性を触るのか、と思った瞬間に秀麗は身震いした。
茶州で秀麗を励まし続けたあの指が、手が・・。
秀麗はすくりと立ち上がった。
椅子が派手な音を立ててひっくり返る。
「ごめんなさい・・・絳攸様」
眉間に皺を寄せて秀麗は言った。
虚空を見つめる眼差しは揺れていた。
それでも、彼女は謝った。
絳攸から家族を奪ってしまう事に。
父親になる事を奪ってしまう事に。
(絳攸様がどう思われようと、あの人が妻を娶るというなら・・・)
彼・・・・は言ったではないか。
未来は変えられる、と。


季節は十、繰り返す。


夜更けの宮城は人の気配も少ない。
この時分ならば後宮や仙洞省の方が人の賑わいがあるだろう。
ましてや仙洞宮裏の禁池ともなれば人の気配など皆無・・・通常ならば。
「一日半・・・か」
ぽつりと男は言った。
「一日くらいなら・・・想定内だったが」
答える声も低かった。
お互いの腰にさしているのは花菖蒲の剣と天下の名刀干將。
いまや左右羽林軍の大将軍にまで登った二人は不気味なほど静かな池の水面を眺める。
一日くらいなら“むこう”にお邪魔しているとしても、飛ばされた人はいまだ戻る気配がない。
(ここで迷子になったら・・・・本当に見限るよ?絳攸)
楸瑛は心の中で溜息をつく。
李次官が消えた、という話が仙洞令君であるリオウからもたらされた時、楸瑛は“消えた”じゃなくて“何処かで迷ってる”の間違いじゃないかと疑ったものだった。
その場にいた秀麗が
「ちょうど10年ですもの」
と。
“消える事”が当たり前のように呟かなければ。
楸瑛と静蘭は、あっ、と息を飲んだものだった。
「リオウ殿も手を尽くしてはいるようだがな」
10年前は縹家の仕業か、と疑った静蘭であったが、事の詳細を聞いてコメカミを押さえた。
「それにしても」
そう言って楸瑛は口を噤んだ。
ギロリと静蘭からの視線をそっぽを向いてかわす・・・事が出来ずにポソポソと続ける。
「秀麗殿の手腕は見事だね」
「・・・・」
李次官が消えたとなれば宮城ひっくり返したような大騒ぎになるのは目に見えていた。
が。
彼女は情報を隠匿するのではなく、逆手にとった。
李次官が何者かに襲われた可能性あり、と。
絳攸が消えて半日。
噂は真実味を帯びて交わされている。
「絳攸殿周辺でキナ臭い話があったからな。
 一部の官吏はビクビクしているだろう」
「うまく縄が掛けられればシメタモノ、か」
楸瑛は想像して肩を竦めた。
ご愁傷様、と。
「秀麗殿は・・・絳攸を心配している暇もない・・かな」
ひっそりと確実に御史台は動いている・・・となれば、彼女は忙しく立ち回っているのだろうから。
「お嬢様は、官吏ですよ。
 主上の」
静蘭は瞑目するように瞳を閉じた。
「君も、私もね」
自分が秀麗の立場だったら、恐らく秀麗と同じ事をする・・・そんな事分かりきっているけれど。
それでも、と楸瑛は思ってしまい・・・苦笑するのだった。


秀麗はうとうとしていた。
ここのところ眠りが浅い。
身体は寝ているのに意識は起きているような感覚。
だからコレが夢だと秀麗は気づいていた。
「なんだかマトモな格好ね、龍蓮」
目の前の彼は(彼にしては珍しく)羽もなければ蜜柑も旗も立っていない。
腰にさした笛に手をかけず・・・・いや、何かを持っていた。
布にくるまれた・・・大根?くらいの大きさのもの。
「龍蓮?」
「楸兄上の友人」
ぽつりと龍蓮は言った。
彼の言葉は取りとめがない。
でも彼の言葉の隅々には非常に大きな爆弾が落とされている事がある。
未来も過去も、見通してしまうという彼の能力。
「絳攸様のことね
 まだ、戻ってらっしゃらないけど」
戻ってこれるのかも分からないけれど。
龍蓮は首を横に振った。
心配はせずとも、というように。
「世界は円でなければならぬ。欠ければ補おうとし、増えれば切り離そうとするのだ」
「・・・龍蓮」
「だから過去から切り離された。そなたの目の前で」
つまり、それは。
秀麗の心鼓がトクンと跳ねる。
だが、喜びきれない何かがあった。
彼の目が嵐の前のように静かだったからかもしれない。
穏やかすぎたのだ。
「この世界は欠けたモノを少しずつ補う。
 ほら、この通り」
龍蓮は手の中の大根・・・・いや、布をぱらりと開いた。
中からは、左腕が。




・え・・・と。
 すみません。この辺で一回切ります。
 過去と未来が入れ食い・・・じゃない、いりくってます。
 未来設定はウメの好きなように捏造。捏造。
 リオウ君あたり、原作でデスフラグが立たないとも言い切れないんですが・・・。
 その時はナマヌルイ目で見てやって下さい。
 現段階で原作は“琥珀”までなので。
           20080518

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