ひっくひっく、という声がしていた。
「つまり“術”・・・手はないという事なのだな」
劉輝はひとつ息を付いた。
ひっくひっくという泣き声が少し高くなる。
後宮の一郭。
劉輝は膝にのせた公子の頭を撫でていた。
自分と同じ、少し癖のある髪。
息子はずっと泣いていた。
目の前で絳攸が消えてから。
10年前が知りたい、と小枝でデタラメな陣を彫った。
貴石代わりの石ころ。術者だっていなかった。
それなのに。
事は最悪のカタチで起こった。
あの時、リオウが言った言葉が公子の耳から離れない。
『とりあえず、殿下でなくて良かった』
と。
公子の小さな手は小枝を手放して劉輝の衣を握り締めている。
真っ白になるほど強く。
「禁池は聖池」
ぽつりとリオウは言った。
うん?と劉輝は顔を上げる。
「王都貴陽は彩八仙の加護を亨けし夢の都(まほろば)。
 根底は仙洞宮にあるんだ」
「ああ・・・。
 仙洞宮を軸に“整えられて”いるな」
そう言ったのは誰だったか。
「整えるチカラは、縹家の術すら遮断してしまう。
 だからこそ、術者は貴陽で術を使うと発狂するか死ぬか・・・二者択一なんだ」
ふむ、と劉輝は頷いた。
リオウが語っているのは劉輝に、というより公子に言い聞かせているようでもあった。
「異能を持つ術者はいた。
 ここに」
静かにリオウは言った。
劉輝は・・・・リオウの視線の先を追って目を白黒させる。
ちょっと待って欲しい。だって、それは。
「王家の血筋と縹家の血筋は紙一重。
 よく知ってるだろ?」
「ぅ・・・うむ」
「羽羽がそうだったように、男が異能を持たないって事はないんだ」
劉輝は公子の耳を塞いでしまおうか、とちょっと悩んだ。
でも、塞いでしまったら公子は“責任”という言葉の意味を覚えないだろう。
劉輝はかつての苦い自分を思い出す。
「術者は術を使ったわけじゃない。
 ただ願ったんだ。
 強く。とても強く。
 それに禁池の水が反応した。
 俺はそう思っている」
「リオウ?
 願うだけで、叶うものなのか?」
リオウは眉をしかめた。
彼にとっても、これは初めての経験だった。
縹家がらみの事象についての深い知識はまったく役に立たない。
「普通は・・・無理だろうな」
「ならば」
「例えば術を施すにあたって必要なのは集中する事だ。
 何故、集中しなければいけないのか?」
「何故って言われても」
「なぁ。
 今、俺との話に集中しているか?」
リオウは唐突に疑問を投げた。
劉輝はへ?という顔をする。
「今、俺の話を聞きながら意識の片隅で公子殿下の事が頭にあるだろう?
 つまりそういう事なんだ。
 人は常に一つの事に集中するなんて事はありえない。
 さまざまな事を考えている。
 意識をして、もしくは無意識下で。
 だから、集中する必要がある」
それは、つまり。
「公子殿下は無意識に強く集中し願った。
 子供で・・・・感情がまっすぐなのも強い力の一因かもしれない。
 思いの丈は土に書かれ、場を作った。
 そこに、禁池の水がかかる。
 禁池は貴陽全体に掛かっている磁場の中心傍にある。
 水自体に何かしらの力を持ってしまっても不思議じゃない」
それが今回の出来事だ、とリオウは締めた。
「ちょ・・ちょっと待つのだ、リオウ。
 これが願ったのは、過去を見る鏡だったはずでは」
10年過去を見たいと願った鏡。
「水は姿を変える。
 時には気化し固化し、一定ではない。
 “見る”為の鏡がカタチを変えたとしても俺は不思議には思わない。
 だって、李絳攸は過去に戻って過去を“見て”いるんだろ?」
「いや・・・うぐ。
 そ・・・そうかも、しれぬが」
なんだか釈然としない。
劉輝は顔をしかめた。
リオウの言葉は・・・・彼にしては珍しく“つけいる隙”がある。
「もしかしたら・・・李絳攸自身にも何らかの要因があるのかもしれないけどな」
「要因とは何なのだ?」
「例えば、過去に戻りたいとか、会いたい人がいたとか。
 そこまでは俺にも解らない」
「これは偶発的に起きた事なんだ。
 何とかする手立てはない。
 何とかなる、事はあるかもしれないが。
 だから・・・・願って欲しい。
 帰ってきて欲しい、と強く願って欲しい」
そう言うとリオウはそっと手を伸ばした。
劉輝の膝の上で泣く幼子はビクリと身体を震わせて恐る恐る振り返る。
そこには。
責める・・・ではないリオウの瞳があった。
上を向けば、心配そうな父王の顔があった。
父の・・・片腕がいなくなった・・・というのに。
劉輝は柔らかな口調で言った。
「絳攸は・・・迷子になっても、ちゃんと帰ってくるのだ。
 その手助けを・・・してやって欲しい」
と。
いつもなら楸瑛の役目だった。
役目、というより身体に染み付いた癖のようなものかもしれない。
幼子はこくりと頷いた。劉輝にしがみついていた手の力を、幾分抜く。
劉輝はほっと安堵した。
心配はあるけれど・・・・どうしようもないなら仕方ない。
待つことに耐える力は、きっと誰よりも強い。
「リオウ。
 禁池の水が要因の一つなら・・・そちらに移った方が良いのか?」
劉輝は改めてリオウを見ると、ぴくりと身体を硬くした。
リオウは、とてもとても難しい顔で何やら考え込んでいた。
劉輝の内で、閉じ込めていた不安がムクムクと渦を巻く。
「リオウ?」
リオウは、ん?と顔を上げると薄く笑った。
(・・・まさか。
 実は原因とか要因とか、全然まったくこれっぽっちも解ってなくて、これを安心させる為のデタラメだったとか言うんじゃあるまいな・・・・?)
劉輝はたらたらと背中に汗が流れるのを感じた。
自分の中で渦巻くモノが、腕の中の公子に伝わらないよう・・・・劉輝は筋肉を振り絞って“平静”を努める。
そして、劉輝もそっと集中するのだ。
早く帰ってこい、と。





・いっきに人物が増えました。
 捏造設定の劉輝の奥さんは・・・勿論あの方です。
 李姫だと、それしかないというか。
 涙雨の6・7話辺りの前半部分、どの辺が李姫なのか、という感じがするのですが実は始めっから出来上がっちゃってる李姫だったりします。
 お付き合いした・・・かどうかは定かじゃないんですが(オイッ)、結婚して子まで産まれそうな前提で1話から書いてます。
 
 涙雨2からいるにはいた“殿下”・・・オリキャラになるんでしょうね。
 オリキャラが苦手な方もいらっしゃると思います・・・申し訳ありません。
 そういえば。
 ウメ宅の燕青って・・・・バリバリ秀麗ちゃん大好きらしくて。
 制御するのが・・・何故だろう?
                       20080525

→彩雲国SStop →TOP