目を細めた絳攸の視界に紅い花の櫛。
思いの丈が詰まった紅い花。
「秀麗。
 あらためて・・・・貰ってくれ。
 秀麗の為に作らせたんだ」
秀麗は首を横に振った。
「それは。
 ・・・もう持っていたくありません」
即行断られた。
「何故だ」
「・・・・それは」
絳攸は(こういう話題では珍しく)切り込みどころを逃さなかった。
「俺が他の誰かに贈るとしたら、誰だというんだ?」
秀麗はウッと詰まった。
「そんな事は!」
秀麗は目頭に力を入れて抗議の声を上げる。
そんな事分かるはずがない。
「妓楼の誰か・・・とか。
 後宮の女官・・・とか」
もてるのだけは一応ちゃんと知っている。
「本当にそう思うのか?」
秀麗はむうっと口を尖らせた。
絳攸は女性の香りをさせて帰ってきた事はないし、女性関係の噂ひとつ立った例もない。
「そっそれに・・・さっき絳攸様は黙られましたけど・・・」
「『想いを告げた事がない大事な女性』か」
秀麗はこくりと頷く。
絳攸は腹に力を込めた。
言うつもりは、なかったのだけれど。
「秀麗に、言った事・・・なかったよな」
「!」
秀麗はぎょっと目を見開く。
胸を縛る何かが、するりと解けた。
一気に軽くなる・・・これは一体。
(え?・・・え?・・・ちょっと待って。落ち着くのよ、私)
そう。きっとこれは“やましい事がある夫の呆れた言い訳”だから・・・・そう教えてくれた珠翠は・・・幸せそうに笑っていた。
・・・・問題になる“夫”の性格と恋愛遊戯の経験値は・・・。
秀麗は跳ね上がった心鼓を無視した。
一生懸命、絳攸に女性の影を探す。
(もとは・・・・何だった?)
秀麗にしてみれば10年も前の事。
持ち物から女性の影が・・・何処かの姫君が。
それは良く覚えている。
でも持ち物って何だった・・・・かしら・・・・。
「佩玉の組紐・・・・」
ぽそり、と秀麗は言葉を零した。
「秀麗が作ってくれたな。
 手を少し怪我してて・・・・組目がいびつだからどうのって。
 俺は構わない・・・って話の事か?
 それがどうかしたか?」
秀麗はもごもごと口の中で言葉を転がす。
それでは。
それでは?
(・・・私・・・・私に嫉妬してたっていうの?)
「秀麗。
 過去は変わらない。
 俺が何度過去に行ったとしても」
10年前・・・あの世界で会った人達にとって“コウ”は未来でも、絳攸にとっては過去だった。
たとえ悔いがある人生だったとしても・・・・自分はきっと“変えない努力”をしてしまうだろう。
だから、過去は変わらない。
それなら・・・未来は変わって欲しいと願うのだ。
「・・・・」
「この10年。
 やり直しがきくとしても、やり直したいとは思わない」
「絳攸様・・・」
「命を狙われた事だって構わない」
秀麗は黙って頷いた。
「お前を妻に娶った事だってな」
秀麗は目を閉じる。
“主上の花”の二人であり、紅家の二人の結婚は結構強い反発があった。
絳攸は反発の全てを切って捨てた。
政治的にイロイロイロイロ立ち回った事を、絳攸は今でも苦と思ったことはない。
秀麗が手に入るのなら。
「気になっている事があるとしたら・・・・」
絳攸は少しだけ明後日の方を向く。
「お前に言われる前に・・・・結婚してくれと言い出せなかっ」
秀麗は慌てて絳攸の言葉を遮った。
思わず伸びた手で絳攸の口を塞ぐ。
そんな事・・・思い出させないで欲しい。
秀麗だって、ちょっとだけ押しかけた事を気にしているのだから。
秀麗は絳攸の口から手を引き剥がす。
「も・・・もぅ・・・いいです」
というか何だか止めて欲しい。
「いいのか?
 たぶん二度と言わないぞ」
秀麗はこくりと頷いた。
ちょっとバツの悪そうな秀麗の顔には、絳攸の知らないナニカが隠れていそうなのだが・・・・暴き出そうとは思わなかった。
秀麗が誤解するナニカは、絳攸の不用意な行動が原因なのかもしれないから。
いつか話してくれればいいと思う。
少し前から目を合わせてくれない秀麗を見て、絳攸は笑った。
(俺の浮気説は・・・・とりあえず落着か)
絳攸は秀麗の手首をやんわり掴んで引き寄せる。
綺麗な指先。
今、彼女は殆ど庖厨に立たせてもらえない。
養い親・・・秀麗の叔父兼義父は『揺するな歩くな走るな跳ねるな、出仕などするな』と心配のあまり寝込んでしまった。
同じ理由で洗濯も掃除もしていない滑らかな指先。
絳攸は秀麗の指先にちょんと唇を寄せて、そっと櫛を握りこませる。
秀麗の拒絶は・・・なかった。
紅い花の櫛。
絳攸は主上の想い人を妻にしようと思ったとき・・・・自分の想いは死ぬまで告げないと決めた。
告げない代わりに作らせた・・・世界で一枚の櫛。
絳攸は顔を真っ赤にしている秀麗を見上げる。
大事そうに櫛を握り紅い花に指を添わせて。
秀麗の雰囲気・・・醸し出す空気は毒気が抜けていた。
穏やかな優しさに絳攸は包み込まれる。
「秀麗」
絳攸は妻の名前を呼ぶ。
秀麗は、やはり真っ赤な顔でぷいっと顔を反らせた。
その顔すら愛おしくて・・・絳攸は立ち上がると秀麗の肩を引き寄せて抱きしめた。
両腕でしっかりと。
抱き締める腕がある事を、今ほど感謝した事はない。
少し涙が出そうだ。
ついでに甘えたら・・・・平手が飛んでくるかもしれない。
それでもいい。
絳攸はねだった。
「秀麗」
と。
少しの間、秀麗はぶつぶつぼやいていた。
『私が・・るのだ』とかなんとか。
絳攸は目を閉じて待つ。
炭がパチパチと爆ぜる音。
そして小さな囁きを聞いた。

「お帰りなさい、あなた」



龍蓮は笛から口を離すと、盛大に伸びをした。
雨は止んでいる。
雲も切れ始めた。
暦では春とはいえ、大雪の名残が舞うときもある季節。
朝晩の冷え込みは厳しいものがある。
龍蓮は暫し考えて貴陽を見下ろした。
「珠翠義姉上の饅頭を食べにまいろう」
少々小腹が減った。
かの人の味は心の友の味と良く似ている故、苦痛しかない邸だが我慢してやってもよい。
やがて雲の隙間から覗く星を見て龍蓮は微笑んだ。
明日はカラリと晴れ渡る。
暫くは雨も降るまい。
明け方、西の昊に架かる七色の虹が消えぬうちに心の友のもとを訪おう。
龍蓮はそう決めた。
心の友の晴々とした笑顔を思い浮かべて、心躍らせながら。





                了


【涙雨】と書いて、すれ違いと読む(←冗談です)。
そんな話で・・・本当にすみません・・・。
とりあえず、これでおしまいです。
因みに【涙雨】の意味は16話で燕青がまるまる語ってくれています。

あ。
そうだ!
実は龍蓮好きなんですよ。
絳攸様がいなかったら秀麗は龍蓮とお付き合いして欲しいと思ってます。
因みに劉輝は原作で堪能できるので、あんまり。
ただ原作の龍蓮ってデスフラグ立ってもおかしくないようなキワドイラインにいるような予感がして。
いや。まぁただの勘なんですけど。
それで涙雨に出そうか出すまいかずっと迷っていたのです。
夢ならセーフ?と思って15話にもいるんですけど。
結局ラストを締めて貰っちゃいました。

一応【涙雨】は、瑞祥のサイトSS全体の枠からはみ出ないように書いているので(布陣は別です)17話の伏線(張るつもりはなかったのに・・・)は別のSSで使うんじゃないかなぁと思っています。
もし出てきたらナマヌルイ目で見てやって頂けると。
 
さてと。
17話の一部分。
アレレ?と思った方は凄いです。
ありがとうございます。
ブログでチラリと書いた(覚えてる方っていらっしゃるんでしょうかね?)・・・今年のウメの初夢。
アノ初夢を何とかカタチにしたかった(結局全く同じにはならなかった・・・)が為に1話から16話を作ったという(馬鹿ですな)・・・なので17話だけは筋書きも何もありません。
好き勝手に書き散らかしてあります(拙宅の腰抜け絳攸様は本当に・・・溜息)。
ネタ帳の17話の頁を捲って“ラスト♪”と一文字書いてあるのを見た時、かなり脳味噌真っ白になったのは秘密です(←おいっ)。
読み辛い点も多いと思いますが、長らく御付き合い下さりありがとうございました(礼)!

                2008/06/01



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