何と言えばいいか。
絳攸は軽く目を伏せて、口を開いた。
「俺が地下牢から初めて地上に出た時。
 思わず足が竦んだ」
「え?」
「灯りがあったとはいえ、地下に慣れすぎていたからな。
 太陽の光があんなに眩しいとは思わなかった。
 見上げた昊の青さ。
肌を刺す太陽の熱。
耳に届く虫の声、風にそよぐ木々のざわめき。
足の裏から伝わる土の軟らかさ。
空気の味。
これが光のある場所かと、思ったんだ」
絳攸は不覚にも泣きそうになった。
まだまだこれからだというのに、もう何もかも良くなっていた自分がいた。
世界が生きていた。
生のある場所だと感じた。
囚われの夢から覚めたのだと、改めて実感した。
絳攸は穏やかな目で秀麗を見つめる。
ここに立っていられる事の感謝を。
目の前の少女に。
言葉にはせず、絳攸は秀麗の頭をぽんぽんと撫でた。
きっと、今言っても、彼女には伝わらない。
この感覚を 仕事だからやったまで=@と括られてしまうのは少し悲しい。
絳攸はそう思った。
「牢を出たあの日から。
 ・・・・・そうだな、強く生きるものを目に留めるようになった」
「絳攸様」
「主上を考えれば、本当はそんな暇はないんだが」
今や朝廷の勢力図を真二つ・・・・いや、王の勢力は追い詰められた状況にまで至った。
絳攸は顎に手を当てて思考を模索する。
まだ、何かある。
まだ、見えていない何かがある。
この不安は、きっと的中するだろう。
その時。
ふっと頭上から甘い香りが落ちてきた。
絳攸の思考が中断する。
「秀麗?」
秀麗は茎を一本とって薔薇の木をゆさゆさと揺さぶっている。
「薔薇の香りって心を穏やかにするそうですよ」
秀麗は笑った。
基本、秀麗も絳攸も仕事一辺倒な人間だ。
でも、今この時ぐらい。
無粋な事を考えるのは置いておいて。
「秀麗・・・。
 棘が危ないから・・・もう揺らさなくていいから。
 って、ちょっと楽しんでるだろ」
「しょうがないです。
なんか子供の頃みたいな事してるな―って思ったら楽しくなってきちゃったんですよ」
見惚れるくらい優しい表情をする絳攸。
しかも秀麗は彼を独占していて。
秀麗は無意識に笑っていた。
心から。
「秀麗」
絳攸は軽く溜息をつくと、秀麗を後ろから抱き寄せるようにして薔薇から引き離した。
「っ!」
絳攸の腕の中にいる秀麗の顔を知ってか知らずか、絳攸は淡々と言葉を継ぐ。
「薔薇は強い木だが、病気にかかりやすくて虫がつきやすい。
強さと弱さが表裏なんだぞ。
  その辺も庭師泣かせな由縁なんだろうが・・・。
 そんな無茶をしてやるな」
「こ・・・絳攸さ・・ま」
絳攸はぴくりと柳眉を曇らせる。
「なんだ・・・。
 こんなに冷えて」
その言葉に秀麗の身体がびくり、と震えた。
「もう日も落ちたな。
 この時期は日が落ちると急に気温が下がるからな。
 あまり薄手で出歩くな」
絳攸はそう言うと上衣を脱いで秀麗をすっぽり包み込む。
「!」
もう、何がなんだか。
秀麗は眩暈がしそうになった。
恥ずかしくて真っ赤になった顔を下に向けて。
絳攸に顔を見られないようにと願う。
日が落ちたとはいえ、顔色ぐらいは判別がつくだろうから。
「ほら、行くぞ」
そう言われて秀麗は手を取られた。
絳攸に引っ張られるようにして歩く。
暖かい、大きな手。
「ど・・・ど、どこへ?」
「城」
「・・・・」
「そろそろ帰らないと、まずいんじゃないのか?」
・・・。
・・・・・・・えぇ、まぁ。
秀麗は心の中でほろりと涙する。
絳攸の上衣をきゅっと握りしめた。
絳攸様って・・・・これって・・・天然なのかしら。
「お前以外には捕まらない」
秀麗の心鼓がどきんと鳴った。
今、なんて?
それって・・・。
見上げた絳攸の表情は真剣そのものだった。
「絳攸様」
絳攸は一度足を止める。
秀麗を振り返り繋いだ手に力がこもった。
「御史台だろうが・・・陸清雅だろうが、な。
  お前以外には、もう捕まらない」
例え、楊修様が動いていたとしても。
秀麗は目をぱちくりした。
そして笑った。
(やっぱり、天然かも)
この状況で 捕まる=@なんて言葉を持ち出すから・・・その恋の・・・なんて、秀麗は思ってしまったのだ。
だって、秀麗は好きだ、と絳攸に宣言している。
貴方を捕まえてみせる、と。
なのに、この人は。
淡い期待は儚く消えた。
それでも、秀麗の思いは変わらない。
きっとこれからも。
秀麗は口角を少し上げた。
「それって、私以外の御史には捕まるような事をするって事ですか?」
絳攸は秀麗を暫くみつめて、にやりと笑った。
「絳攸様!」
絳攸と秀麗はぎゃいぎゃい騒ぎながら連れだって歩く。
秀麗はふと思った。
きっと城に戻ったら睡眠をとった以上に仕事の効率がいいだろう、と。
・・・・。
城に・・・戻ったら?
「!
 絳攸様!
 お・・・お城なら、こっちの方が近道です!」




     了
        2009/11/01




 ・すっかりご無沙汰してますSSです。
  黒蝶の感想SSです。
  とは言っても、恋慕情の内容が一部入っているので。
  まぁ、単に『秀麗は以前絳攸に告白している』が前提の黒蝶感想SSですな。
  なんじゃそりゃ、って感じですが、原作が暗いから・・・・あれ?
  原作って暗いですよね、今。
  ちょっとほんわかしようと思って、絳攸が少し甘めです。
  誰、アンタ?
  とか、ちょっと思いました。
  だって、拙宅の李姫の二人がぎゃいぎゃい騒ぐってありえない・・・・。
  黒蝶を読んだ瞬間に、ラストに落ち込むより、宰相様に呆れるより、頁135の絳攸様に心奪われましたよ。
  『秀麗以外につかまるか』
  このトキメキ(?)だけで書いた話です。
  ラストはお約束ですが。
  では〜。

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