13  思惑


団扇がぱたりぱたりと扇がれる。
非常にやる気のない扇ぎ方だった。
「大丈夫かい?
 絳攸」
絳攸は臥台に身体を横たえ楸瑛の手厚い・・と思われる・・看護を受けていた。
絳攸の額の上には申し訳ない程度に濡れた手布。
微妙な生温さが少し気持ち悪い。
絳攸は低い声で答えた。
「・・・ああ」
「だろうね」
楸瑛は臥台の側に寄せた椅子に座り、はぁと溜息をつく。
とっくに心配はしていなかった。
だいぶ前から絳攸の息遣いが楽になっている事に気づいていたのだから。
楸瑛はとんとんと団扇で自分の肩を叩く。
絳攸の額の手布をぺろりと持ち上げて表情を確認すると肩を竦めた。
やれやれ、と。
「本当に一刻で落ち着いちゃったねぇ、静蘭」
静蘭は壁際に立ち、むすりと答える。
「そうですね」
楸瑛は持っていた手布をぺいっと絳攸の顔に投げつけた。
「・・・っうぷ。
 何なんだ一体。
 俺に当たるな」
絳攸が抗議の声を上げる。
「そう言われてもねぇ」
「そうですね」
静蘭も絶対零度の無表情で相槌を打つ。
「俺が何かしたかっ!」
「同じ顔だしさ」
「同じ声ですしね」
絳攸はきっと聞こえていなかっただろう、しかし楸瑛と静蘭の耳には焼き付いていた。
『経験した』と。
『十年前に』とも。
それらを組み合わせると答えは何になるのだろう。
「まさか、ねぇ」
「ありえないですよ」
そう言いつつ二人は溜息をつく。
絳攸はむくりと身体を起こした。
「それで、アイツは何なんだ?」
ぼそり、と絳攸は呟いた。
楸瑛ががくりと肩を落とす。
「・・・君ねぇ。
 それは私達が聞きたいんだよ」
「まあ。
 つまるところ絳攸殿のようですよ」
静蘭はしれっと言葉に乗せる。
楸瑛はちらりと静蘭を見た。
「あ―・・
 言っちゃったねぇ」
言葉にするにはあまりにも馬鹿馬鹿しい答え。
正気を疑われそうで楸瑛は言葉に出来なかったのだ。
だが、すとんと言葉は脳に落ちた。
つじつまは合う。
「何か文句でも?」
静蘭が楸瑛を見下ろす。
「いや、ないよ」
「そうですね。
 貴方の弟君が二人より、まだましでしょうし」
楸瑛はうっと詰まって心底嫌そうな顔をした。
いろいろいろいろ巡るものがあったらしい。
「まだまし、か」
絳攸はきょとんとする。
喋っていないのに自分の声がした。
楸瑛と静蘭は室の扉を見る。
二人は正確に気配を感じていた。
ゆっくりと扉が開かれて現れた人物は想像のまま。
「そうだな。
 まだましかも知れないな」
コウは皮肉げに言う。
かちん、とくるものを無視して。
(静蘭は俺がいる事に気づいて言ったな・・・)
だが、今は。
コウは静蘭より気になる事があった。
視線を絳攸に縫いとめる。
絳攸はのろのろと臥台を降りていた。
びしっと指先を突き立てて絳攸が怒鳴る。
「何なんだっその面は!」

「「「・・・・・」」」

一陣の冷たい風が吹きぬけたようだった。
絳攸は盛大な溜息の嵐につつまれる。
それでも。
怒鳴ってやりたかったのだ。
“自分と同じ顔”を見た直後に。
冷え切った空気を裂くようにコウは言った。
「実は馬鹿だろ、お前」
呆れ顔で肩を竦める。
「なっ」
自分と同じ声が自分を馬鹿にする。
自分と同じ顔が自分を呆れた顔で見る。
絳攸の血圧は一気に急上昇した。
顔を真っ赤にして猛然と飛び出す。
今までの体調不良が嘘のように、今は身体が軽かった。
絳攸はコウに掴みかかろうと・・・。
次の瞬間。
絳攸の目に天井が映った。
背中にズンッと痛みが走る。
あっと思った時にはひっくり返っていたのだ。
絳攸は自分に何が起きたか分からなかった。
楸瑛と静蘭は目を見張る。
コウが絳攸の腕をかわすと逆手に取り、足を払って地面に落とす・・・その様に。
簡単な護身術。
驚いたのはコウが利き腕一本で荒業をした事だった。
絳攸が掴みかかる事を前もって知っていたかのような綺麗な一連の動き。
武官である自分達なら咄嗟に身体が動くかも知れないが・・・・。
コウはくすりと笑った。
「言っただろう。
 お前の事は何でも知っているってな。
 俺はお前の未来なんだ」
「馬鹿なっ」
絳攸は目をくわっと見開いてコウを見上げる。
「暴露してやるよ。
 お前の胸のうちを。
 何を暴露すれば、お前は信じる?
 例えば。
 秀麗を冗官にした事を実は気にしている、とか。
 情勢を逆手にとって“良策だ”と思いこもうとしている、とか?」
絳攸がふるふると震える。
「キサマッ・・・」
コウは嗤った。凄絶な支配者の笑み。
楸瑛と静蘭は目を瞠る。
絳攸では見る事の出来ない表情だった。
「秀麗なら分かってくれる、とも?
 己の甘さを思い知れ。
 これから先、散々に、な」
絳攸はコウの気迫に動けなくなる。
微動だにしない二人の間に割り入ったのは楸瑛だった。
「面白いね、その話」
絳攸を尻目に楸瑛はぽつりと言った。
言葉と裏腹に目は輝いている。
武官の持つ色合いではなかった。
野望を持つ文官のそれか、あるいは、藍の血筋がそうさせたのか。
「お前は、面白いと思うんだな・・・」
コウは一歩下がる。
少しだけ絳攸と距離を置いて楸瑛と視線を合わせた。
楸瑛はふふっと笑う。
底の見えない笑みだった。
「その顔で、今の表情なら説得力抜群だけどね。
 それでも信じ難い事だし。
 どうせなら他に何か証拠なんてないのかな」
コウは口の端を軽く上げる。
自嘲気味に見えるのはきっと気のせいではない。
「本心は、ソコではないだろう?
 一体何が知りたいんだ?」
「なんの事かな」
「お前はとっくに俺の存在を認めているって話だ。
 未来を知る俺から何が知りたいのか・・・・・。
 藍家の威光が地に落ちた、とか。
 そんな与太話が聞きたいのか」
楸瑛は口元に笑みをはいたまま不快そうに眉を寄せる。
「へぇ。
 君がそんな冗談を飛ばせるようになるとは、ね。
 変わるものだ」
「俺が、俺の知っている事を素直に話すと思ったか?
 ・・・ああ。
 確かこの程度なら“許されるはず”だ」
コウは右手を袷にいれる。
静蘭はコウの口調に引っ掛かるものを感じて・・・目を見張った。
楸瑛も絳攸も息を飲んだ。
コウの手にあるもの。
佩玉だった。
大官にのみ佩帯を許される地位と権力の証。
「この世界に来てすぐにはずした。
 混乱を招くだろう?」
コウは誤って踏みつけてしまった後にはずしていたのだ。
何故なら今の時代、誰にも下賜されていない位であり佩玉だった。
盗む事も複製する事も成しえない代物。
そして、李絳攸という人物ならば未来に佩帯を許されてもおかしくない代物でもあった。
それらをふまえれば。
「確かに・・・・それは」
ぽつりと静蘭は言った
(・・・・でも、それは)
静蘭は未だ床の上の絳攸を見る。
絳攸は食い入るようにコウの佩玉を見つめていた。
ポツリと擦れた声で言う。
「ニ官位」
尚書令を補佐するニ官位。
しかもコウが持つのは尚書省の次官を示す佩玉。
現在の絳攸は六部の筆頭侍郎。
尚書省は六部の更に上になる。
「ありえない」
楸瑛だった。きっぱりと断言する。
「十年で絳攸があの紅吏部尚書より上だって?
 早すぎる」
それは静蘭も抱えた疑問。
コウは、くすりと笑う。
(降格処分を受けた身で・・・と言えないのが非常に残念だ)
思った事をおくびにも出さずにコウは慎重に息を吸った。
「男が出世するのは妻の家柄次第。
 よく知っているだろうが」
 
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