8・コウと秀麗と静蘭


「っ絳攸様!」
秀麗は素っ頓狂な声を上げた。
静蘭はパチパチと瞬きする。
邵可に連れられて室に入ってきた客人。
何処からどう見ても絳攸だった。
が。
邵可は、違う違うと首を振る。
「秀麗。
 彼はコウ殿。
 絳攸殿ではないよ」
コウと呼ばれた人物は邵可と顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
やはり絳攸と同じ表情で。
秀麗はふるふると身体が戦慄くのを感じた。
(父様・・・何の冗談かしら・・・?)
二の句がつげない秀麗に邵可はうーんと唸る。
(さて。どうやって納得させようか)
見た目は――いや中身も――絳攸である。
邵可と絳攸・・・コウは取りあえずコウの経緯を伏せる事にしていた。
折を見て話す事もあるかもしれない。
その判断は必要に応じてコウが下す、と二人は決めていたのだ。
邵可は何でもいいから騙されてくれないかなぁ、と頭をめぐらす。
言葉を選んでいるとコウが邵可に目配せをした。
「コウと申します。秀麗姫」
あらたまってコウは口を開く。
秀麗は口をぽかんとあけた。
「以前・・・御会いした事はありますが、十年も前の事。
 貴方の愛らしい笑顔が拝顔できて何より」
「・・・いや。あの・・・・その・・・」
秀麗はまじまじと絳攸を見上げる。
目前の人物の言葉が右から左に綺麗に素通りしていった。
言葉の意味が分からないのではなく、この顔で紡がれる言葉ではない事に秀麗の脳が拒否反応を起こす。
(絳攸様?・・・と、藍将軍・・・)
思い浮かんだ人物はしっくりと秀麗の心に落ちた。
まさしく、絳攸の外見に藍将軍の豊かな活舌を与えたような・・・人物が目の前にいる。
「あのう・・」
「本当に絳攸殿ではない、と?」
秀麗の言葉を遮ったのは静蘭だった。
コウは酷薄な笑みを浮かべる。
「家人に横から口を出されるとは、思ってもみなかったが?」
教育がなっていない、と言外に言い放つコウに静蘭の頬がぴくりと上がった。
秀麗はぎょっと目を見開く。
静蘭の端整な顔が崩れる事はあまりない。
秀麗は何だか室温が下がった気がした。
「差し出がましい事をして、申しわけありません」
静蘭は幾分低い声で言った。
紙が切れそうな鋭い声音だった。
コウはふふんと笑う。
「腹の内を裏切っていそうな謝罪だな。
 まぁ、いいが」
思惑を読ませない冷徹な表情でコウは吐き捨てる。
「・・・あのぅ」
秀麗はおずおずと二人の間にはいってみた。
なんとなく上げた手が虚しい。
邵可はぼへっと様子を見守っていた。
「秀麗姫?」
コウはふわりと優しげな表情を浮かべた。
「あの!
 私、果肉餡のお饅頭を作っていたんです。
 いま、お持ちしますね。
 静蘭手伝ってくれる?」
秀麗はアハハハハと高めの声で笑うと静蘭の袖を引っ張って室を出た。
パタンと扉をしめて、秀麗はふぅと溜息をつく。
「・・・お嬢様」
静蘭の眉間に皺が寄っているのを見て秀麗は苦笑した。
「すごい顔よ、静蘭」
「・・・・すみません。
 気を使って頂いて」
「いいの。
 私もビックリしたから、絳攸様・・・じゃないコウ様には」
「・・・」
「違うわ」
秀麗はきっぱりと言った。
静蘭はおやっと驚いた顔で秀麗を見る。
姿形は絳攸そのものであるというのに。
「違うの。
 笑い方も、視線も、口調も。
 コウ様は上辺でしか見てくれない・・・」
(・・・絳攸様に、あんな上辺を取り繕った目で見られた覚えがない)
秀麗はふるりと震えた。
正直怖かったのだ。
優しい表情ではなく、優しげな表情で微笑まれるのが。
知っている姿であったが為に、受ける衝撃は思いのほか強かった。
「・・・そう、ですね」
静蘭は少し目を伏せた。
秀麗がふと顔を上げた時、そこには“いつもの”静蘭がいた。
「お嬢様、少し頭を冷やしてきてもいいですか」
頭を冷やす必要などなさそうな顔で静蘭はニコリと笑う。
秀麗は軽く笑って、どうぞ、と答えた。


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