次の瞬間。
絳攸の目に天井が映った。
背中にズンッと痛みが走る。
あっと思った時にはひっくり返っていたのだ。
絳攸は自分に何が起きたか分からなかった。
楸瑛と静蘭は目を見張る。
コウが絳攸の腕をかわすと逆手に取り、足を払って地面に落とす・・・その様に。
簡単な護身術。
驚いたのはコウが利き腕一本で荒業をした事だった。
絳攸が掴みかかる事を前もって知っていたかのような綺麗な一連の動き。
武官である自分達なら咄嗟に身体が動くかも知れないが・・・・。
コウはくすりと笑った。
「言っただろう。
 お前の事は何でも知っているってな。
 俺はお前の未来なんだ」
「馬鹿なっ」
絳攸は目をくわっと見開いてコウを見上げる。
「暴露してやるよ。
 お前の胸のうちを。
 何を暴露すれば、お前は信じる?
 例えば。
 秀麗を冗官にした事を実は気にしている、とか。
 情勢を逆手にとって“良策だ”と思いこもうとしている、とか?」
絳攸がふるふると震える。
「キサマッ・・・」
コウは嗤った。凄絶な支配者の笑み。
楸瑛と静蘭は目を瞠る。
絳攸では見る事の出来ない表情だった。
「秀麗なら分かってくれる、とも?
 己の甘さを思い知れ。
 これから先、散々に、な」
絳攸はコウの気迫に動けなくなる。
微動だにしない二人の間に割り入ったのは楸瑛だった。
「面白いね、その話」
絳攸を尻目に楸瑛はぽつりと言った。
言葉と裏腹に目は輝いている。
武官の持つ色合いではなかった。
野望を持つ文官のそれか、あるいは、藍の血筋がそうさせたのか。
「お前は、面白いと思うんだな・・・」
コウは一歩下がる。
少しだけ絳攸と距離を置いて楸瑛と視線を合わせた。
楸瑛はふふっと笑う。
底の見えない笑みだった。
「その顔で、今の表情なら説得力抜群だけどね。
 それでも信じ難い事だし。
 どうせなら他に何か証拠なんてないのかな」
コウは口の端を軽く上げる。
自嘲気味に見えるのはきっと気のせいではない。
「本心は、ソコではないだろう?
 一体何が知りたいんだ?」
「なんの事かな」
「お前はとっくに俺の存在を認めているって話だ。
 未来を知る俺から何が知りたいのか・・・・・。
 藍家の威光が地に落ちた、とか。
 そんな与太話が聞きたいのか」
楸瑛は口元に笑みをはいたまま不快そうに眉を寄せる。
「へぇ。
 君がそんな冗談を飛ばせるようになるとは、ね。
 変わるものだ」
「俺が、俺の知っている事を素直に話すと思ったか?
 ・・・ああ。
 確かこの程度なら“許されるはず”だ」
コウは右手を袷にいれる。
静蘭はコウの口調に引っ掛かるものを感じて・・・目を見張った。
楸瑛も絳攸も息を飲んだ。
コウの手にあるもの。
佩玉だった。
大官にのみ佩帯を許される地位と権力の証。
「この世界に来てすぐにはずした。
 混乱を招くだろう?」
コウは誤って踏みつけてしまった後にはずしていたのだ。
何故なら今の時代、誰にも下賜されていない位であり佩玉だった。
盗む事も複製する事も成しえない代物。
そして、李絳攸という人物ならば未来に佩帯を許されてもおかしくない代物でもあった。
それらをふまえれば。
「確かに・・・・それは」
ぽつりと静蘭は言った
(・・・・でも、それは)
静蘭は未だ床の上の絳攸を見る。
絳攸は食い入るようにコウの佩玉を見つめていた。
ポツリと擦れた声で言う。
「ニ官位」
尚書令を補佐するニ官位。
しかもコウが持つのは尚書省の次官を示す佩玉。
現在の絳攸は六部の筆頭侍郎。
尚書省は六部の更に上になる。
「ありえない」
楸瑛だった。きっぱりと断言する。
「十年で絳攸があの紅吏部尚書より上だって?
 早すぎる」
それは静蘭も抱えた疑問。
コウは、くすりと笑う。
(降格処分を受けた身で・・・と言えないのが非常に残念だ)
思った事をおくびにも出さずにコウは慎重に息を吸った。
「男が出世するのは妻の家柄次第。
 よく知っているだろうが」


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