地上に駆け上がった秀麗は牢の傍をうろうろしていた。
階段を下りて楸瑛と顔を合わせる勇気もなく、このまま帰ってしまうのも何だか癪で。
ただ何となくほっつき歩く。
懐にいれたおにぎりが重くて・・・なんだか悲しい気分になった。
食べてもらえるあてはない・・・分かっていたが、渡すあてもなくなってしまった。
渡すといっても、獄吏に見つからないように枕元において置くだけなのだが。
秀麗は気持ちを切り替えるように、ふぅと息を吐き出した。
そしてゆっくり息を吸いこむ。
少しひんやりした空気が体内に満たされた。
その時。
「秀麗?」
聞き覚えのある声だった。
お馬鹿な事を言っては秀麗に目くじらを立てさせる人物・・・・振り返れば、案の定。
「執務は終わったの?」
秀麗は劉輝を見上げて笑った。
母親が子に向けるような優しい笑みで。
「ああ。とりあえずは・・・・な」
劉輝も照れたように笑って秀麗に近寄る。
シュスリと衣擦れの音が秀麗の耳に入った。
上質な布の綺麗な音。
「どうしたのだ?こんなところで」
劉輝は首を傾げた。
目と鼻の先には牢がある。
散歩をするような場所でもないので、牢に行くか帰るかのどちらかのような気がするのだが・・・・。
「・・・ちょっと、ね」
秀麗は言葉を濁して苦笑する。
少し前の残像がぱっと浮かんで、ふるりと首を振った。
消し去ってしまいたいものほど頭にこびりついて離れないのは何故だろうか。
「秀麗?」
「・・・・今、楸瑛様がいらしてるの」
劉輝は知っているとばかりに、ああと頷いた。
「絳攸のところだな。
 余もこれから行くところだ。
 一緒に行くか?」
せっかく会えたなら少しでも一緒にいたいし、とは言わず劉輝は秀麗を誘う。
と。秀麗は固まった。
「?」
「いえ、なんでもないの。
 大丈夫」
「・・・大丈夫に思えないほど声が棒読みなのが気になるのだが・・・」
「気のせいよ」
劉輝はそわそわと動く秀麗の瞳を観察して・・・ふぅん、と唸った。
「何よ」
秀麗が噛み付くように声を荒げる。
「別に。
 ただ、楸瑛と何があったのか・・・気になるのだが」
「・・・・。
 ・・・・・・・・ないわ。何にもね」
そう。何にもない。
だから余計に秀麗の心は重いのだ。
劉輝のじとり、と据わった視線を秀麗は不器用に受け流し溜息をつく。
「なら、いいが。
 ・・・牢は・・・絳攸は痩せたな」
劉輝は少し遠く、牢の方に視線をやる。
秀麗は懐に手をやった。
日に日に細くなる絳攸。秀麗も気付いている。
何かしたくて、それで秀麗はおにぎりを作り始めたのだ。
何時目が覚めてもいいように。
「楸瑛がご飯代わりになる薬湯というものを飲ませているが・・・・
 効き目の程はどうなのか」
――!
秀麗は耳を疑った。
ぱちくりと瞬きをする。
(・・・薬湯を飲ませるって)
では、アレは薬湯を飲ませていたのだろうか。
「・・・あ。
 あ、あ――」
ぴくりとも動かない秀麗に劉輝は素っ頓狂な声を上げた。
「・・・なんなの」
さすがに秀麗も思考を中断して怪訝そうに劉輝を見上げる。
「いや。
 あの、そのなんだ」
ごにょごにょと口ごもる劉輝に秀麗の眉間の皺が増す。
「はっきり言いなさいよ」
「・・・そのな。
 秀麗は御史だったな―・・と」
目を泳がせながら劉輝は言った。
秀麗は肩を竦ませる。
そちらの事か、と。
「良いわよ。
 絳攸様の状態が状態だから差し入れは厳しくなっているけど・・・・
 聞かなかった事にする」
もとより秀麗も人の事は言えないのだが。
それより何より、ずしんと心に落ちたのは。
(楸瑛様は“する”人なのね)
むうっと口をとんがらせて秀麗は唸る。
その様子をどこか悲しい目で劉輝は見守っていた。


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