絳攸はやれやれと肩を落とす。
目はすっかり覚めてしまった。
秀麗の頬に親指で触れる。
この話はもう仕舞いにしよう。
「墨がついてる。
 続き、しなくていいのか?」
机案の上を指差すと、秀麗はハッとした顔になった。
ではな、そう言って絳攸は秀麗に背を向けた。
奥の仮眠室に向かって。
その時、背中に声がかかった。
妙にはっきりした声だった。
「・・・・絳攸様。
 絳攸様の“嫌いじゃない”って・・・その言葉を貰ってしまったから」
絳攸は振り返る。
朝の光の中、鮮やかに秀麗は微笑んでいた。
涙の影すらなく。
「決めました。
 呆れられても嫌われてもいいです。
 諦めないって決めました。
 どんな手を使っても、許しを貰います。
 絳攸様に絳攸様の隣にいる許しを貰います。
 結果として、絳攸様を不幸にしても奪うことになっても仕方なくでも、言わせたもの勝ちです」
絳攸が求めて止まない強い瞳。
「秀麗」
「絳攸様が何を思って、ああ言われたのか分かりません。
 知ろうともしません。
 でも。
 『嫌いじゃない』って言葉の中に隠れている“好き”に希みを見つけてしまったから」
秀麗はふふふ、と笑う。
「『幸せにできないかもしれないが、傍にいてくれ』って言葉を貰う為に、特攻かけるのみです」
力強く秀麗は言い放った。
意気込む秀麗とは裏腹に絳攸はちょっとだけ落ち込んだ。
なんだか自分は情けない人間に聞こえてくる。
実際、秀麗から逃げるばかりで仕方のない男なのだけれど。
あぁ頭痛がする。

(なんで俺だったんだろうな)

痛みに眉間を寄せながら考える。
絳攸は想いを墓場まで一人で持っていくつもりだった。
・・・想われたいとは願っていなかったのに。
「勝手にしろ」
絳攸は眩しすぎる秀麗の瞳から逃れるように背を向ける。
今度こそ振り返らない。
いつか。
――いつか。

・・・・主上には渡さない。
俺の傍にいてくれ。

そう言う日が来るのだろうか。
「ありえない」
絳攸は自嘲気味に笑った。

(もし言うとしたら、それは秀麗に負けて折れた時じゃない)

自分で認めた時にしか、きっと言わない。
だから。
「・・・ありえないな」
一瞬でも通じ合えた、それが奇跡。
それで、この想いは仕舞いにできる。



秀麗は仮眠室に消えていく絳攸の背をずっと見ていた。
父と勘違いして抱きついた背は大きくて暖かくて。
絳攸の傍は、包み込まれるような優しさを感じる。
居心地が良過ぎて、ずっと傍にいたいと思う気持ちが強くなって。
・・・だから、気付いてしまった。
絳攸に避けられ始めている事に。
少しでも踏み込もうとすると、サラリとかわされる。
嫌われている様子はないから、ずっと不思議だった。
・・・その意味がやっと分かった。

(絳攸様は、想いをはっきりさせる事を避けられていた・・・)

きっと細心の注意を払って。
今日の事は、絳攸にしてみれば不本意なほどの偶然。
「避けられていた理由・・・」
秀麗の顔がぱっと紅く染まる。
理由が分かっただけでも収穫なのに。
―――彼の人は気付いているだろうか。
幸せに出来ないって・・・想いを断ち切る言葉じゃない事に。
「そんな事、言っちゃ駄目ですよ。絳攸様」
そんな事をいうから・・・。

(想いだけには・・・もう出来ない)

本当は“好き”だけで良かったのだ。
血を残す事が出来ない自分は、“好き”の先を少し諦めていた。
・・・むしろ“好き”だけじゃなかったのは絳攸の方。
それが、分かってしまったから。
「貴方を諦めません」
例え近い未来(さき)に貴方を失う事になっても。
泣かない。
そんな暇はない。
秀麗の脳裏に贅を凝らした紅い花の櫛がよぎった。
それを打ち消すように、ふるりと頭を振る。
秀麗は硯箱を開けた。
使い古した一本の筆に触れる。
初めに硯箱に収められていた一本だった。
絳攸から一番最初に貰った贈り物はひとつだって欠けていない。
秀麗の為に選んでくれたと、思いたかったから。
「そう簡単には、捨てられないんです」



邵可は昊を仰ぎみた。
足元には火鉢が一つ。
寒いかもしれないと思って府庫を離れたら、入るに入れない状況が其処にはあった。
邵可は肩が凝ったわけでもないのに、とんとんと肩を叩く。
上手くいかないものだ。
絳攸の秀麗を見つめる視線に気付いていたから、わざわざ気をつけていたのに。
よもや秀麗が絳攸に宣戦布告をしている光景を見る事になろうとは。
「こんなトコまで親に似なくていいのに。
 そう思わないかい?」
最愛の妻との馴れ初めを思い出して邵可は少し寂しく思った。
それでも、自分に似たのなら・・・間違いなく。
「絳攸殿。
 幸せに出来ない男に娘はあげないよ」
邵可は少し意地悪な表情で呟いた。




                           了
                         
                          20090131


・駄文中にイタズラをしています。
 折角の一万HIT記念なので、分かる人に楽しんで(?)貰えればと思いまして。


 それにしても難産でした(←すべて拙宅の絳攸が腰抜けな為)
 絳攸は結婚前提の好き・・・でも主上に遠慮。
 秀麗は“好き”だから今までどおり傍にいさせて欲しい(だけ)・・・子供が産めないし。
 という話です。
 いつもの通りです。今回は少しだけ踏み出してみましたが。
 ウメ自身が分かり辛いなぁと思ったので、後書という言い訳などしてみました。
 因みに硯箱は原作一巻のアレですな。
 
 最後に。
 記念SSのアップに時間がかかってすみませんでした。
 可愛い秀麗と絳攸の話に挫折した為に、「だからっ!」と突っ込みたくなる話になってしまって、本当にもう・・・。
 
 こんな話でもサイトに来て頂いている皆々様に感謝をこめて。
 
 
                              うめきち。



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